人生の選択肢って誤ったとすぐに感じることってほとんど無いんじゃないかな。ずっと後になって其のミスが効いてくることのほうが多いんじゃないかな。つまり、間違った状況を引き起こした選択肢がいつ出てきたかなんてよくわからないんじゃないかな。100手前の選択肢が原因なのか1000手前の選択肢なのか。もし選択肢が2択で100手前まで選択肢を調査して、其の選択肢と間違った状況の因果関係を決定的に見出すには2の100乗通りの組をチェックしなきゃならない。そんなことしてたらノイローゼになっちゃうよ。それに現況を改善する組が見つかったとしても、それは現状をちょっとしか改善してくれなくて、改善した手で進めたとしても同じ結末に行き着いてしまうかも。人生に何回選択肢が現れるかわからないけれど、人生を完璧なスコアで終わらせる(正気を維持して終わらせる)ってとても難しいんじゃないかな。
だから完璧なスコアでこなすよりも、半分よりも上のスコアで終わらせるほうが現実的なのかもしれないな。人生の選択肢が1回しかなかったらそれこそギャンブル的な生き方なのかもしれないけれど、人生はギャルゲーと違って自分の力で選択肢を増やすことが出来る。半分より上のスコアで人生を終わらせるには選択した回数が多いほうが良いんじゃないかな。だって、僕らは学ぶことが出来るから。コイントスで人生の選択肢を毎回決めるなら話は別だけど、何回も選択を繰り返すことで、これならうまくいくんじゃないかなという選択肢や確実によいと思える選択肢が増えてくるだろう。選択肢が増えればミスする回数も当然増える。間違った選択のたびに自己嫌悪の繰り返しになるけど、僕は選択の回数を増やすように変化しなければいけない。そう思う。