今日は何だ、次の台詞に身構える僕。「今日は海岸まで行かない?」「冬に海岸だって?」街から海までは電車を乗り継いで片道30分ぐらいだろうか。免許を持っていない僕に、沿岸をドライブして海まで、という甘いシチュエーションを期待しているわけではないだろうし、僕が免許を持っていないことぐらい薫は知っているはずだ。図りかねた僕は「この寒空の下海岸に行くなんて、あまり建設的なデートコースとは思えないけど。」と答えた。「今日は何の日。」「了解しましたお姫様。」「よろしい。」
今日は12日、Qweenの日だ。そもそもこの、12日はQueenで薫が13日はKingで僕がデートの決定権を持つ、という馬鹿げた制度は付き合い始めて1年ほどたったある13日に生まれ、なぜか今でも続いている。とにかく、毎月12日は僕が薫お姫様のナイトになり、甲斐甲斐しくお世話させていただくというわけだ。「ではこちらです、お姫様。」ぼくらは電車に乗り込んだ。
「ねぇ覚えてる。私が大宮に引っ越したときのこと。」「覚えてるよ。引越しを手伝った。」「だよね。でもほとんど私がやった。」窓の外を流れる景色を見ながら言われた。「そりゃそうだよ、何を触っても怒るんだから。」「そもそも、もう少し早く言うか最後まで言わなければよかったのにね。単身赴任の夫の帰りをけなげに待つ新妻のような気持ちだった。」突っ込みたくなるのを抑えて僕はゆっくり答えた。「僕はあの時言えてよかったと思ってる。」薫は複雑そうな顔をして「後悔してたら殺すわよ。」と続けた。全く素直じゃないんだから。
電車から降りて少し歩くと海岸についた。この寒い時期に海岸に来た酔狂なカップルはやはり僕らだけだった。「はい。」後ろから付いてきた薫がLoftの黄色い紙袋を手渡す。「寒いでしょ?」「まぁ。」「マフラー編んだの。」紙袋から出てきたのは棒針編みの長いマフラー。「上手いでしょ、編み物得意なのよ。」得意げに言われたがこのために海岸まできたのかと思うとがっかりだ。「マフラーは編み物の基本だよ。」「いいから付けるの。」長めのマフラーを2人の首に巻く。「ふぅ、あったかい。」
「今日は記念日ね、純が私の前で素直になれた記念日。『引越す前に好きだって言えて良かった』って言われたから。」「これ言ったの初めてだったっけ?」「初耳。」「そもそも僕は素直なほうだと思うけど。」「いつもカッコつけてる。二人だけのときはカッコなんかいらないから、飾らずに接して欲しいの。私もうカッコになびくような年じゃないし、純のカッコで純と一緒にいたいと思っているわけじゃないから。」なんだかいつにも増して薫が大人びて見えた。「そうか。じゃぁ『後悔してたら殺す』はやめてほしいな。」「どうして。」「お互いさ、好きだって言おうよ。いつまでも、僕のお姉さんぶって素直じゃない薫でいるのはやめてって事。立場対等。OK?」薫のドキッとした表情。「引っ越す前に、本当に最後の最後で純に付き合ってくれって言われて、嬉しかった。やっと幼馴染を恋人として見てもよくなったんだって。でも、純に好きだって言っても相手にされないんじゃないかって怖かった。ほら、純って大人だから、他人の前では演技して、本当の気持ちを外に出さないようにしてるから。」吹っ切れた表情で薫はそう言った。「純のことが好き、幼馴染でいたときも付き合い始めてからも。」そっぽを見ながら言う薫の顔は真っ赤だった。
「今日は記念日だね、薫が僕の前で素直になれた記念日、お互いが自分の気持ちを言葉にして相手に伝えられた記念日。」照れながら僕は言った。「うん。やっぱりカッコいい純も好きだよ。」薫が答えた。「そういえば実はマフラー苦手って嘘なんだ。だからさ、マフラーありがとう、嬉しかった。」「うん。じゃぁ今日は全部まとめてマフラー記念日だね。マフラーが純と私の間を取り持ってくれたから。」